堺市自転車散歩 次章
2019年06月23日 公開

この妙国寺でありますが・・・
ウィキペディアにもある通り、
信長の時代からいわく付きのソテツが生えており、
本能寺の変の時には、家康が宿泊していたり、
堺事件の際には、「切腹」を「harakiri」という国際語に変えてしまった場所でもあります。
今はとてもきれいなお寺ですが、
大阪大空襲で焼けてしまった為でありまして、
この近辺の歴史あるお寺のほとんどが焼けずに残っていることを思うと、
やはり、このお寺には何かあるな・・・と思わずには要られません。

歴史的にかなり重要なお寺の1つではありますが、
物見遊山で入るには、かなり勇気が要りますね(^^;
で、正面からの写真撮影も控えて向かったのは、
堺伝統産業会館であります。
以前は、刃物だけの建物でしたが、
今は堺をアピールする為に、堺の伝統産業全てをアピールしようという狙い。
もちろん、お土産も買ってね・・・てな感じでもありますが、
ボランティアの方々が色々と丁寧に解説してくれますから、
せっかくなので、しっかりとお話を聞いてみましょう。
有意義な時間が過ごせます。


堺の伝統産業と言えば、
刃物以外には、鉄砲、鉄砲から派生した自転車、
染物、昆布、線香、和菓子といったところでありましょうか。
和菓子屋も堺発祥の会社も結構多いですしね。

産業会館の2階はこの通り、高級刃物の展示販売の数が半端ないです。
その後、これまた歴史的な名前のついたザビエル公園へ。
って、なんてことのない普通の公演ですが、
歴史的な展示物? は数点置かれてます。

左奥にチンチン電車が少しだけ写っているのですが、
この線路沿いにあります。
私個人的にも、縁もゆかりもある公園であります。

そこでしばらくのんびりとした後は、海の方へ。

龍女神像(りゅうのめがみぞう)と言います。
この辺りは、
車では近くをよく通りますが、
じっくりと眺めたのは、まだ2度目くらいですかね。
近所の天ぷら屋さんや寿司屋には深夜(2~3時頃)に数えきれないほど通いましたです。
若い頃。
今、そんなことをしたら、体形がかなり悪化してしまいますから、
絶対に行きませんですけどね(笑)
続きます。
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